育児休業について考える
最近、男性育休義務化の議論が話題になっています。
2019年6月に、国際児童基金(ユニセフ)は日本含む41か国の先進国における家族にやさしい政策に関する報告書を発表しています。
https://www.unicef.or.jp/news/2019/0087.html
その中では、日本はなんと先進国の中で父親の育児休業の期間の長さが1位となっています。
しかし実際の育休取得率はとても低いことも報告されています。
その理由としては、職場の人手不足、育休を取得しづらい社内の雰囲気、があるとのことです。
私の身の回りでも、未だに育休が職場で迷惑がられるという話はよく耳にします。
特に、未婚もしくは子供がいない人が、育児自己責任論をTwitterでつぶやいているのを見かけます。
結婚して子供作るのは個人の自由だけどあくまでも自己責任。
それを選択しなかった自分に、他者の育児による業務上のしわ寄せが来るのはおかしい。
このような考え方の人は、身近にも結構いるかもしれません。
また雇用側でも、育休を取ったら、辞めさせるまではいかずとも、出世させないという組織も聞いたことがあります。
私の職場は、幸い辞めさせられることも出世できなくなることもありませんが、男性の育休取得は未だ事例がありません。
かくいう私も現在もうすぐ3歳になる子供がいますが、育休を取得しませんでした。
というのも、当時の私の頭の中には、育休を妻と同時に取得するという概念がありませんでした。
社会的にどのような制度になっているのかあまり知りませんでした。
また、職場から育児休業に関して制度説明を受けることもありませんでした。
そしてそれを自分で確認しようともしませんでした。
お恥ずかしい話、当時は子育てに対する責任感や大変さへの理解が薄かったと思います。
夫婦どちらか一人で子供を育てることは大変困難です。
子育ての大変さは仕事の比になりません。
これは物理的な意味よりも、精神的な意味が大きいと感じます。
男性育休義務化では、雇用側が制度説明することを義務付けというのもあるようですね。
私ももしまた子供が生まれたら、今度は育休を取得しようと思います。
しかし、特に人数が少ない部署にいる人や専門職の人は、育休取得に対する不安を感じるのではないでしょうか。
私も子を持つ親になって、社会の中で子供を産み育てることの意味を考えるようになりました。
私は自分の子の保護者として、もちろん責任をもって育児をしているつもりです。
しかし、子供を産むときや体調が悪い時は病院のお世話になっていますし、仕事中は保育園に預けていますし、今回のテーマの育休も妻が取得し給付金をもらっています。
少なくとも、夫婦だけで子供を産み育てるということはできていません。
社会に助けてもらっています。
でも、それでいいと思っています。
もともと育児にかかわらず、社会とはそういうものと言えると思います。
一人で全てを完結するよりも、複数で物事に取り組んだ方が、役割分担ができたり、同時に複数で同じことに取り組めたりするので、より大きなこと、ハイレベルなことができます。
だから集団になって、それぞれが役割をこなして、出来ない部分を補いあいます。
しかし集団になると、全体最適と部分最適・個人最適の考え方が出てきます。
集団には、本来その目的となる共通の目的や考えがあります。
動物の群れで言えば、生き残ること、がそうでしょうか。
ここで誰かが個人最適を優先して行動すると、社会全体のパフォーマンスは下がります。
社会のレベルを上げるためには、構成員一人一人がどこまで社会全体を主語として考え、全体最適を意識して行動できるかが重要になります。
(もちろん、全体最適の中には、構成員一人一人が真に幸せであることも含まれるでしょう。)
これは群れだろうが家族だろうが職場だろうが国だろうが、社会であれば共通しています。
自分良ければ全てよし、という個人最適な考え方による行動は、全体のパフォーマンスを落とすのです。
話が逸れていますが、人間社会において、その構成員が子供を産み育てることは、とても重要なことです。
社会にも様々な規模がありますが、社会を人間の集合と捉えた場合、一番大きいものは全人類が構成員である国際社会になるでしょう。
子供を産み育てることの重要性について極端に言えば、例えば全人類が今後子供を産まなくなれば、人類は100年後にはいなくなることになります。
生物学的なことはよくわかりませんが、人類が遺伝的に種を残そうとする生物であることを前提とするならば、人類は未来永劫持続可能的に発展することが理想であり、そのための社会のあり方を模索し、いずれは「最適な」国際社会を営むこと、が最終目標である、と考えることができます。
つまり、人類における長期的なミッションは、国際社会の最適化です。
例えば国連のSDGsは、まさにこういったことへの取り組みの一つと言えます。
ただ、現在の国際社会はまだ、地域によって文化や発展レベルに大きな差があるため、国という規模の社会で部分最適を図り、国連などの国際的な機関が全体最適を図るための秩序を作っている、という段階です。
日本もこのような国際社会の中の国の一つですが、日本社会という国レベルで捉えても、国民が子供を産み育てることは、とても重要なことです。
大学職員には周知の事実ですが、2019年には予想よりも早く、日本の出生数が90万人を割りました。
日本の高齢化の速度は社会問題になっています。
日本の現在の人口がそもそも多すぎるかどうか、という議論はさておき、これまでの秩序では日本社会がまわらなくなることはほぼ確実でしょう。
日本の職場社会においても、現在の出生数の低下は、長期的には市場規模の縮小に繋がるため、大問題です。
当然、その問題解決として、職場社会では、構成員に子供を産み育てやすい環境を作ることが重要となります。
ただ、これが職場社会においては部分最適と相反すると捉えられがちです。
職場社会からすれば、子供を産み育てることはランダムに発生する不確定要素です。
また、実際に発生すれば、労働力の減少やそれに伴う人員補充など、職場組織の生産性にとってマイナスとなることが予想されます。
職場社会としての部分最適を追求するならば、不確定要素はなくした方が安定します。
なので育休は取ってほしくない、ということになり、実際に取らせないようにする力が職場社会の中で働きます。
ただしこれは、国際社会・日本社会の全体最適からすると、マイナスな現象です。
一時的な生産性の減少より、それによって生まれなかった子供が将来するはずだった社会活動のマイナスの方がはるかに大きいです。
今後の日本社会においては、職場社会が、どこまで全体最適を意識できるかが、今後重要になるでしょう。
では、職場社会は全体最適のために、生産性を犠牲にするしかない、ということでしょうか。
ここまでネガティブな視点から述べていますが、私はもっと、ポジティブに捉えてもいいんじゃないかと考えています。
職場も含めて、個人も、国も、国際社会も、WinWinになる考え方はないでしょうか。
職場社会が構成員に対して、子供を産み育てやすい環境を作ることの直接的なメリットを考えてみます。
まず、構成員との信頼関係が築けることが考えられます。
職場での社員のパフォーマンスは、技術等もありますが、メンタリティによるところが大きいです。
どれだけ能力を持っていても、モチベーションがなければパフォーマンスは発揮できません。
職場が子供を産み育てやすい環境を提供することで、社員は、大事にしてくれている、やりたいようにやらせてくれる、と感じ、それがパフォーマンスの上昇として返ってくることが期待できます。
また、子育てを人材育成の一環として捉えるのはどうでしょうか。
子育てでは、親として、責任者として、子供と向き合うことになります。
子育てを業務に例えるのは語弊があるかもしれませんが、責任者として夫婦で協力して一つのミッションを遂行し、トラブルに対処していく、これは職場ではなかなか経験できない成長の機会と捉えることもできます。
逆に、子供が生まれる予定の人にそういう意図を伝えた上で、研修の一環として原則育休を取得してもらう、+復帰後フィードバックしてもらう、というのも面白いかもしれませんね。
社会の最適化には、社会で子供を産み育てる環境の充実も含まれると思います。
社会で子供を産み育てていくことは、持続可能的な発展に繋がります。
社会で子供を産み育てるというのは、構成員が皆それぞれ子供を産み育てなければならないわけではありません。
個人的に子供が欲しいと思っていない人は、子供を産み育てる必要はありません。
結婚をしたくない人は、する必要はありません。
ただ、社会全体の視野をもって、自分のできる範囲で、直接子供を産み育てている人の支援をすればいいんだと思います。
同じ部署で育休を取った人の代わりに何か業務をやってあげたら、それは社会の一員として、間接的に子育てをしていると言えるのではないでしょうか。
直接子供を持たなくても、子育てはできる、ということです。
これはダイバーシティ&インクルージョンの考え方にも似ているかもしれませんね。
社会の中で、自分にできないことを他の人がやって、他の人ができないことを自分がやって、補いあえばいいんだと思います。
シンプルに第一の問題は、子供を産み育てたいと思った人が、安心して子供を産み育てられない状況があるということです。
個人、組織、国それぞれが、自分の立場・役割でできることを、視野を広く持って考えて行動することで、社会全体がハッピーになればいいなと思います。
大学としては、目先の市場縮小にビビりつつも、その対処のためでなく、社会全体の幸せのために、教育機関として率先して様々なことに取り組んでいく立場にあると思います。
私は、教育機関がけん引する少子化対策という未来に期待しています。
【大学職員Y】