部活は何のためにやるのか
おはようございます!大学職員のNです。
大学で部活動に参加する学生は、あまりいないのではないかと思います。サークル活動で約5割の加入率という資料をどこかでみたことがあるのですが忘れてしまいました。
部活を敬遠する理由として
殆ど休みがない
自由な時間がない
大学までいってガチでやりたくない
坊主にしないといけない
等のネガティブなイメージが強くあるようです。実際に私が監督を務める軟式野球部の勧誘でも、上記の理由で断られることがあります。(坊主になんか誰もしていないですがね‥笑)
大学側が率先して部員を集めている強化クラブ以外は、部員集めに工夫を凝らし、決して多くない大学側からの運営協力金と部費で部の運営をしてることと察します。
加えて、部活が活発でない大学では、学校側は部活にあまり協力的ではなく、試合や遠征に行くこともあまり良い顔されないこともしばしばあります。実施に所属する軟式野球部が全国大会に出場するときも、「授業を休んでまでいくことか?」と言われる先生方もおりました。
そんな中、大学側が協力的でなく、プロに行くわけでもなく、頑張っても1円にもならない部活に時間を注ぐとこは、一見非効率で生産性が低く、無駄のようにみえるかもしれません。
しかし、この無駄のように思える部活こそが、人としての奥行きと幅を広げ、学生生活を充実させます。
社会に出て仕事をすると、多くの場面で生産的で効率化を求められ、無駄をすることが許されなくなります。
学生時代は最後に無駄なことが許された時間です。だから価値もあります。
合宿でキツく理不尽な練習を共に乗り越えた仲間と行きつく先には、辛いことを共有した一体感を得ることができるし、卒業してからも、集まれば思い出話に花を咲かせられるような、かけがえのない仲間を手に入れることができます。
そして部活をしながら講義や研究に追われ、骨折り損のくたびれもうけを繰り返して書き上げた一本の論文は、世の中的には大した価値はないかもしれないけど、書いた本人には何事にも変えられない経験値を得ることができます。
「大学は無駄なことをすることが許された空間なので、大いに挑戦してたくさん失敗しなさい。その数だけ人としての奥行きと幅を広げて、人生の礎になっていくよ。」
コロナ禍でも、私の思いはこれに尽きます。